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神津専三郎 こうづ せんざぶろう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

神津専三郎 こうづ-せんざぶろう

1852-1897 明治時代の教育者。
嘉永(かえい)5年3月5日生まれ。明治8年文部省から伊沢修二らとともにアメリカに派遣され,オルバニー師範学校に留学。帰国後,文部省音楽取調掛,東京音楽学校(現東京芸大)教授などをつとめた。明治30年8月18日死去。46歳。信濃(しなの)(長野県)出身。名は仙三郎ともかく。著作に「音楽利害」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

神津専三郎

没年:明治30.8.18(1897)
生年:嘉永5.3.5(1852.4.23)
明治期,日本の音楽教育制度確立に大きな功績を残した音楽教育者。仙三郎とも。信濃国(長野県)生まれ。伊沢修二とアメリカに留学して,ニューヨーク州アルバニー師範学校に2年間学び,明治11(1878)年帰国後は伊沢のもとで音楽取調掛の監事として,伝習生に西洋音楽史を講義したり,教材の翻訳に努めた。同20年音楽取調掛が東京音楽学校へ発展解消後も,同校教授として伊沢校長を助け,音楽教育に尽くした。同29年伊沢が台湾の総督府学務部長に転じると,招かれて学務部編集課長となった。訳書にカルコット著『楽典』,エメリー著『和声学初歩』などがある。台湾で没。

(秋山邦晴)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の神津専三郎の言及

【レコード】より

…そしてこれら二つの分野が身近になったことは,西欧中心の,しかも古典・ロマン派中心の従来の音楽観を根底からゆり動かした。 日本でも,エジソンの蓄音機の発明は音楽教育家神津専三郎(1852‐97)によって〈蘇言機〉または〈自言機〉として同年のうちに報じられたが,翌1878年,東京大学教授J.A.ユーイングによって実験され,福地桜痴はこれを〈蘇音器〉とよんだ。商品としての蓄音機の輸入は89年,国産化は長谷川武次郎商店によって92年に始まっている。…

※「神津専三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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