神津専三郎(読み)こうづ せんざぶろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「神津専三郎」の解説

神津専三郎 こうづ-せんざぶろう

1852-1897 明治時代の教育者。
嘉永(かえい)5年3月5日生まれ。明治8年文部省から伊沢修二らとともにアメリカに派遣され,オルバニー師範学校に留学。帰国後,文部省音楽取調掛,東京音楽学校(現東京芸大)教授などをつとめた。明治30年8月18日死去。46歳。信濃(しなの)(長野県)出身。名は仙三郎ともかく。著作に「音楽利害」など。

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367日誕生日大事典 「神津専三郎」の解説

神津 専三郎 (こうづ せんざぶろう)

生年月日:1852年3月5日
明治時代の音楽教育者。東京音楽学校教授
1897年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の神津専三郎の言及

【レコード】より

…そしてこれら二つの分野が身近になったことは,西欧中心の,しかも古典・ロマン派中心の従来の音楽観を根底からゆり動かした。 日本でも,エジソンの蓄音機の発明は音楽教育家神津専三郎(1852‐97)によって〈蘇言機〉または〈自言機〉として同年のうちに報じられたが,翌1878年,東京大学教授J.A.ユーイングによって実験され,福地桜痴はこれを〈蘇音器〉とよんだ。商品としての蓄音機の輸入は89年,国産化は長谷川武次郎商店によって92年に始まっている。…

※「神津専三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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