日本歴史地名大系 「神田塗師町代地」の解説 神田塗師町代地かんだぬしちようだいち 東京都:中央区旧京橋区地区神田塗師町代地[現在地名]中央区八丁堀(はつちようぼり)三丁目松屋(まつや)町および松屋町続上納地の北にあり、北は伊勢桑名藩松平氏上屋敷。神田塗師町(現千代田区)の代地。桑名藩屋敷北にもう一ヵ所神田塗師町代地(のち三代町)がある。寛文新板江戸絵図では鳥井(鳥居)兵部の屋敷になっており、享保七年(一七二二)頃同屋敷跡地北部に町立てされたとみられる(沿革図書)。享保年中江戸絵図には塗師町とみえている。安永三年小間附町鑑によれば小間は田舎間四二間三分、公役金を納める。 神田塗師町代地かんだぬしちようだいち 東京都:中央区旧日本橋区地区神田塗師町代地[現在地名]中央区日本橋兜町(にほんばしかぶとちよう)松下(まつした)町一丁目代地の西、楓(もみじ)川東岸にある。神田塗師町(現千代田区)のうちが切地に召上げられ、八丁堀(はつちようぼり)において与えられた代地(安永三年小間附町鑑)。町屋が立てられた時期は不明だが、享保年中(一七一六―三六)と推定され(沿革図書)、享保年中江戸絵図では河岸通りに塗師町、南北横丁に松下町とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by