日本歴史地名大系 「小塩庄」の解説
小塩庄
おしおのしよう
- 京都府:乙訓郡
- 小塩庄
旧乙訓郡一帯、現京都市西京区・伏見区、
建長二年(一二五〇)一一月日付の九条道家初度惣処分状(九条家文書)によれば、道家自身の終焉の地として京都東山
この記録によって、総面積二八〇町歩余、年貢米はおもに四斗代で総計約九〇〇石、ほかに八幡神用米・将軍家馬草用途などの負担があること、小塩庄に所属する庄家はなく、他領に入り組んで存在するために、名主・百姓らの居所は所々に分散していたこと、南は
はゝ村(馬場村、現長岡京市)六町一段半、おくかいせ村(奥海印寺村か。現長岡京市)一町三段、かいてん村(開田村、現長岡京市)一段、井の内村(現長岡京市)二段、いまさと(今里、現長岡京市)一町九段、かミ上野村(現向日市)八町二段半、かいて村(鶏冠井村、現向日市)一町一段六〇歩、ひし川村(菱川村、現京都市伏見区)一町六〇歩、し水村(志水村、現京都市伏見区)一町四段一二〇歩、古河村(現京都市伏見区)三町五段一二〇歩、おちあひ村一段、あかゐ村(赤井村、現伏見区)三町一段大、ひつめ村(樋爪村、現京都市伏見区)一町七段大、水足村(水垂村、現京都市伏見区)一一町三段半、よと村(淀村、現京都市伏見区)七段、古市村(現長岡京市)四町六段大、神足村(同)一町七段半、勝竜寺(同)一町三段大、しゆく村(現大山崎町)四段、北しゆく四段、てうし村(調子村、現長岡京市)四町小、しも上野村(現大山崎町)六段半、くかい村(久貝村、現長岡京市)二段、ゑん明寺(円明寺、現大山崎町)五段、山崎(現大山崎町)八町二段三〇〇歩、かみさと(上里、現京都西京区)一段大、
各村の面積は一筆一筆書きあげられているものを集計した。
小塩庄
おしおのしよう
建長二年(一二五〇)の峰殿置文(「九条道家処分状」九条家文書)に「山城国小塩庄可充寺用相折并護摩供料」とみえ、九条道家が東山
康永三年(一三四四)小塩庄預所職が一条家の門跡寺院である小野の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報