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藤原実資 ふじわらのさねすけ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤原実資
ふじわらのさねすけ

[生]天徳1(957).京都
[没]永承1(1046).1.18. 京都
平安時代中期の廷臣。小野宮実資ともいう。斉敏 (ただとし) の子。母は播磨守藤原尹文の娘。祖父実頼の養子となった。寛弘6 (1009) 年大納言,治安1 (21) 年右大臣,長暦1 (37) 年従一位。

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デジタル大辞泉の解説

ふじわら‐の‐さねすけ〔ふぢはら‐〕【藤原実資】

[957~1046]平安中期の公卿。祖父実頼の養子。三条天皇の信任が厚く、右大臣となる。道長頼通に迎合せず、賢右府と称された。有職(ゆうそく)故実に詳しく「小野宮年中行事」を著す。日記「小右記」は当時を知る基本史料。

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百科事典マイペディアの解説

藤原実資【ふじわらのさねすけ】

平安中期の高官。祖父実頼(さねより)の養子となって小野宮(おののみや)を継ぎ右大臣に進んだ。性剛直,全盛期の道長にも追従せず,刀伊(とい)の入寇を撃退した藤原隆家の行賞を主張した。
→関連項目本朝世紀

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原実資 ふじわらの-さねすけ

957-1046 平安時代中期の公卿(くぎょう)。
天徳元年生まれ。藤原斉敏(ただとし)の3男。祖父実頼の養子となり,小野宮家の所領,記録文書をうけつぐ。円融朝から一条朝にいたる3代に蔵人頭(くろうどのとう)としてつかえ,永延3年(989)参議。治安(じあん)元年(1021)右大臣,のち従一位にいたる。賢人右府と称され,日記「小右記(しょうゆうき)」は摂関政治確立期の史料として有名。寛徳3年1月18日死去。90歳。

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世界大百科事典 第2版の解説

ふじわらのさねすけ【藤原実資】

957‐1046(天徳1‐永承1)
平安中期の公卿。父は参議斉敏。祖父実頼の養子となり,小野宮第など多くの資産を伝領,また故実に関する家説を継承した。後小野宮と称せられる。969年(安和2)元服,叙爵。以後右兵衛佐右近衛少将等を歴任,981年(天元4)蔵人頭。翌年遵子(頼忠女)立后の際中宮亮を兼任。983年(永観1)左近衛中将。翌年円融天皇譲位,引き続き新帝(花山天皇)の蔵人頭。985年(寛和1)一条天皇受禅の際蔵人頭をやめたが,987年(永延1)再補。

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大辞林 第三版の解説

ふじわらのさねすけ【藤原実資】

957~1046) 平安中期の廷臣。右大臣。祖父実頼の養子。性剛直で全盛期の道長と対立、批判的立場に立つ。また、有職小野宮流を大成。著「小野宮年中行事」、日記「小右記」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤原実資
ふじわらのさねすけ
(957―1046)

平安中期の公卿(くぎょう)。参議斉敏(ただとし)の三男。母は播磨守(はりまのかみ)藤原尹文の女(むすめ)。祖父実頼(さねより)の養子となり、本邸の小野宮(おののみや)ほかの莫大(ばくだい)な財産を継ぎ、後小野宮殿(のちのおののみやどの)などとよばれた。981年(天元4)蔵人頭(くろうどのとう)となり、参議、中納言(ちゅうなごん)、大納言を経て1021年(治安1)右大臣、37年(長暦1)従(じゅ)一位に上り、寛徳(かんとく)3年正月18日没した。頭がよく賢人右府とよばれ、祖父以来の伝統を継承して有職故実(ゆうそくこじつ)に詳しく、『続本朝往生伝(ぞくほんちょうおうじょうでん)』には一条朝の秀(すぐ)れた公卿の筆頭にあげられている。藤原道長(みちなが)全盛期にあって、実頼に始まる小野宮家の嫡流として、実頼の弟師輔(もろすけ)の孫である道長と対等の意識をもち、安易に迎合しなかった。ただし道長その人と対立するのではなく、1012年(長和1)の道長による三条天皇女御(にょうご)(せいし)の立后妨害のような横車には対抗するという、朝廷を重んじて筋を通す考え方であった。日記『小右記(しょうゆうき)』、有職故実書『小野宮年中行事』を残した。[吉田早苗]

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世界大百科事典内の藤原実資の言及

【小野宮】より

…その後,摂関藤原実頼の領するところとなり,このため実頼の系統を小野宮家と称し,九条家(流)と対比された。実頼からこの家を伝領したのは養子(実は孫)の藤原実資(さねすけ)であった。実資の日記《小右記》に,この邸のことが散見し,いかに造作に意を用いているかがわかる。…

【小野宮年中行事】より

…1巻。著者は藤原実資。実頼(実資の養父)と師輔の兄弟は,父忠平の教命を受けて,それぞれ小野宮流,九条流の有職を確立した。…

【小右記】より

…右大臣藤原実資(さねすけ)の日記。祖父実頼が小野宮と称したのに対して実資は後小野宮と称し,右大臣であったことから《小右記》という。…

【政事要略】より

…その引用書の種類は,現存25巻のものだけでも100を超えるが,その大半は現存しない逸書である。本書の成るについては,同時代の政治家で儀式典礼についても一流派(小野宮流)をなした藤原実資(さねすけ)の依頼によるともいわれる。古写本に前田尊経閣所蔵の金沢文庫本3巻がある。…

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