日本大百科全書(ニッポニカ) 「多伎」の意味・わかりやすい解説
多伎
たき
島根県中央部、簸川郡(ひかわぐん)にあった旧町名(多伎町(ちょう))。現在は出雲市(いずもし)の南西部を占める地域。日本海に臨む。1956年(昭和31)岐久(きく)、田儀(たぎ)の2村が合併して多伎村となり、1969年町制施行。2005年(平成17)出雲市に合併。JR山陰本線と国道9号が通じる。旧町域の大部分は山林で、耕地は総面積の約7%にすぎない。沿岸は磯浜(いそはま)が大部分で、田儀港を中心にハマチ刺網、タイ、ブリ、イサキの一本釣りのほか、ウニ、ワカメ、岩ノリを特産する。またブドウ、イチジクなどの果樹栽培が盛ん。1978年から久村(くむら)地区には工業団地が造成された。久村にはまた行基(ぎょうき)の開基という華蔵(はなくら)寺がある。
[石橋忠男]
『『岐久村誌』(1960・多伎村)』▽『『田儀村誌』(1961・多伎村)』