多伎神社(読み)たきじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「多伎神社」の意味・読み・例文・類語

たき‐じんじゃ【多伎神社】

  1. 愛媛県今治市にある神社。旧県社。祭神素戔嗚尊(すさのおのみこと)、多伎都比古命(たぎつひこのみこと)、多伎都比売命(たぎつひめのみこと)古代からの奥の院「川上の巖」の磐座(いわくら)信仰に始まる。崇神天皇の頃の創建古来降雨の神として知られる。付近には三〇余基の古墳群(多伎宮古墳群)がある。滝の宮。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「多伎神社」の解説

多伎神社
たきじんじや

[現在地名]朝倉村古谷

多伎川が笠松かさまつ山・五葉森ごようもりのせまる渓谷から平坦地へ出る地点に鎮座する。祭神は須佐之男命・多伎都比古命・多伎都比売命。旧県社。

上流約一キロの地点に「川上のいわお」とよぶ巨岩があり、奥院としてこれを祀るところから、当社の信仰が巨石崇拝、水源・雨乞信仰に始まることがわかる。初期の奉祭者は境内にある二〇余基の古墳群の主であろう。

社記によると、その創立は崇神朝に滝宮の号を得、大宝二年(七〇二)多伎神社と改め位階を賜ったという。


多伎神社
たきじんじや

[現在地名]多伎町多岐 笠無

町道南側の山腹にあり、祭神は阿陀加夜努志多伎吉比売命と大己貴命。旧郷社。「出雲国風土記」の神門かんど多吉たき社、「延喜式」神名帳の多伎神社にあたる。「延喜式」の同社に座す大穴持おおあなもち神社は東方の字保神原輪の若宮床ほじんばらわのわかみやどこにあったが、天平(七二九―七四九)から延喜年間(九〇一―九二三)に本社に合祀された。江戸時代には多伎駅大明神・三社大明神・多伎大明神とよばれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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