福与城跡(読み)ふくよじようあと

日本歴史地名大系 「福与城跡」の解説

福与城跡
ふくよじようあと

[現在地名]箕輪町大字福与 福与

村の北にあり、天竜川の東沿岸の段丘を利用した平山城。

文献上の初見は、慶長一六年(一六一一)成立の「二木家記」で「箕輪居城福与」とある。

また「長野県史蹟名勝天然紀念物調査報告」に、

<資料は省略されています>

とある。

鎌倉時代の創設らしいが、城主についてはつまびらかでない。諏訪御符礼之古書にみえる箕輪の藤沢氏はこの城主か。天文年代(一五三二―五五)になると城主として藤沢頼親勢力を張ったが、武田信玄の伊那侵略となり、天文一四年六月落城し、城は焼失した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

一月五日ごろから二月二、三日ごろの、小寒、大寒合わせた約三〇日間。寒中(かんちゅう)。《 季語・冬 》[初出の実例]「寒(カン)の中 薬喰 声つかふ 酒作 紅粉(べに) 門垢離(かどごり)」(出典:俳...

寒の内の用語解説を読む