20世紀日本人名事典 「福田眉仙」の解説
福田 眉仙
フクダ ビセン
明治〜昭和期の日本画家
- 生年
- 明治8年9月5日(1875年)
- 没年
- 昭和38(1963)年10月28日
- 出生地
- 兵庫県赤穂郡相生
- 本名
- 福田 周太郎
- 別名
- 号=麦仙,麦僊,菱僊,眉山:草雲,富華堂
- 学歴〔年〕
- 東京美術学校〔明治33年〕中退
- 主な受賞名〔年〕
- 兵庫県文化賞〔昭和23年〕,神戸新聞平和賞〔昭和30年〕
- 経歴
- 16歳で上京し久保田米僊に師事、絵画の修業を続ける。明治29年から日本絵画協会絵画共進会で、33年から日本美術院との連合絵画共進会でも活躍。同年日本美術学校を3年で中途退学し、日本美術院に学び橋本雅邦や岡倉天心らに師事。36年第5回内国勧業博覧会に「朝霧」を出品。全国を写生旅行のほか、42〜45年中国を旅行し南宗画などを研究、のち「支那大観」「支那三十画巻」を、大正10年朝鮮半島を旅行し「朝鮮画巻」を制作した。のち京都大覚寺襖絵も手掛けた。また戦災で「支那三十画巻」を焼失したため、その後約10年かけて、昭和33年「中国絵巻」(30巻)を完成、35年コロンビア大学に湯川秀樹を通じ寄贈した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報