日本歴史地名大系 「私市庄」の解説
私市庄
きさいちのしよう
古代の
荘名の初見は寿永三年(一一八四)四月二四日付源頼朝下文(賀茂別雷神社文書)である。
とあって、賀茂別雷社の代々の氏人である久平なるものが、武士玉井次郎に当荘を寄せ押領に及んでいることが知られる。停止の下知にもかかわらず久平の押領は続いたようで、同年六月六日には次のような源頼朝下文(同文書)が出されている。
これによれば私市庄は賀茂別雷社の末社である
とあって、私市庄は藤原(徳大寺)家から寄進されたものであること、資保の権益は預所職であることが知られる。
私市庄
きさいちのしよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報