朝日日本歴史人物事典 「秋山光彪」の解説
秋山光彪
生年:安永4(1775)
江戸後期の国学者。豊前小倉藩(福岡県)藩士。原政興の子で,秋山光一の養子。通称荘兵衛(庄兵衛),字士弸,号は梨園。光彪は諱,訓みは「みつとら」「みつかど」など諸説ある。幼いころから和漢の学を渉猟し,兵学を究め,和歌に長じた。和歌の師は村田春海で,春海門中随一の学識を誇ったといわれる。小倉藩では,藩主小笠原氏の京都藩邸留守居役を勤めた。天保1(1830)年,香川景樹の家集『桂園一枝』を江戸派の立場から論難した『桂園一枝評』を著して歌壇に激しい議論を巻き起こした。家集に光彪の死後刊行された『秋山翁家集』(1842)がある。京都常寂光寺に葬る。門人に西田直養らがいる。
(飯倉洋一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報