秋山光彪(読み)あきやま こうひょう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

秋山光彪 あきやま-こうひょう

1775-1832 江戸時代後期の国学者,歌人。
安永4年生まれ。豊前(ぶぜん)小倉藩(福岡県)藩士藩主側近となり,晩年は京都留守居役をつとめた。村田春海(はるみ)に和歌をまなび,「桂園一枝評」をあらわして香川景樹(かげき)の歌集を批判した。没後「秋山翁家集」が刊行された。天保(てんぽう)3年2月6日死去。58歳。本姓は原。字(あざな)は子弸,士弥。通称,庄兵衛。号は梨園,福堂。

秋山光彪 あきやま-みつたけ

あきやま-こうひょう

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朝日日本歴史人物事典の解説

秋山光彪

没年:天保3.2.6(1832.3.8)
生年:安永4(1775)
江戸後期の国学者。豊前小倉藩(福岡県)藩士。原政興の子で,秋山光一の養子。通称荘兵衛(庄兵衛),字士弸,号は梨園。光彪は,訓みは「みつとら」「みつかど」など諸説ある。幼いころから和漢の学を渉猟し,兵学を究め,和歌に長じた。和歌の師は村田春海で,春海門中随一の学識を誇ったといわれる。小倉藩では,藩主小笠原氏の京都藩邸留守居役を勤めた。天保1(1830)年,香川景樹の家集『桂園一枝』を江戸派の立場から論難した『桂園一枝評』を著して歌壇に激しい議論を巻き起こした。家集に光彪の死後刊行された『秋山翁家集』(1842)がある。京都常寂光寺に葬る。門人西田直養らがいる。

(飯倉洋一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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