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秋月韋軒 あきづき いけん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

秋月韋軒 あきづき-いけん

1824-1900 幕末-明治時代の漢学者。
文政7年7月2日生まれ。陸奥(むつ)会津(あいづ)藩(福島県)藩士。江戸の昌平黌(しょうへいこう)にまなぶ。藩主松平容保(かたもり)の京都守護職就任にしたがい京都で公武合体策を推進。戊辰(ぼしん)戦争で新政府軍とたたかい,禁固処分をうける。のち東京大学予備門,五高でおしえた。明治33年1月5日死去。77歳。本姓は丸山。名は胤永。字(あざな)は子錫。通称は悌次郎。編著に「観光集」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

秋月韋軒
あきづきいけん
(1824―1900)

幕末から明治の儒学者。文政(ぶんせい)7年、会津(福島県)に生まれる。名は悌二郎(ていじろう)、諱(いみな)は胤永(かずひさ)、字(あざな)は子錫(ししゃく)。23歳で昌平黌(しょうへいこう)に入学、足掛け12年、程朱学(ていしゅがく)を学ぶ。1862年(文久2)京都守護職松平容保(まつだいらかたもり)のもとで京都にて活躍。1865年(慶応1)蝦夷地(えぞち)(北海道)代官となるが、3年で京に上り、戊辰(ぼしん)戦争では容保に従って、鳥羽伏見から会津落城まで転戦し、会津藩の終わりに尽くすところがあった。禁固3年ののち許されて太政官(だじょうかん)に出仕、後年は東京大学高等中学校に奉職した。明治33年1月5日没。著作には『韋軒遺稿』がある。[渡部正一]

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