日本大百科全書(ニッポニカ) 「秋月韋軒」の意味・わかりやすい解説
秋月韋軒
あきづきいけん
(1824―1900)
幕末から明治の儒学者。文政(ぶんせい)7年、会津(福島県)に生まれる。名は悌二郎(ていじろう)、諱(いみな)は胤永(かずひさ)、字(あざな)は子錫(ししゃく)。23歳で昌平黌(しょうへいこう)に入学、足掛け12年、程朱学(ていしゅがく)を学ぶ。1862年(文久2)京都守護職松平容保(まつだいらかたもり)のもとで京都にて活躍。1865年(慶応1)蝦夷地(えぞち)(北海道)代官となるが、3年で京に上り、戊辰(ぼしん)戦争では容保に従って、鳥羽伏見から会津落城まで転戦し、会津藩の終わりに尽くすところがあった。禁固3年ののち許されて太政官(だじょうかん)に出仕、後年は東京大学高等中学校に奉職した。明治33年1月5日没。著作には『韋軒遺稿』がある。
[渡部正一 2016年4月18日]