秋貞郷(読み)あきさだごう

日本歴史地名大系 「秋貞郷」の解説

秋貞郷
あきさだごう

現浜岡町西部に比定される中世の郷。領域は高松たかまつ神社(笠原庄一宮)やその周辺社領と重複していた可能性が高い。文保二年(一三一八)一一月二〇日の安達時顕裁許状(中山文書、以下断りのない限り同文書)では「南浦」の帰属が問題とされ、秋貞郷給主朝顕代は南浦を郷分とし、津料の徴収を主張するが、笠原かさはら庄一宮の社領と裁定されている。南浦は笠原庄一宮の南方に広がる海岸をさすのであろう。貞和五年(一三四九)一〇月二七日の高行書下では、干上がった新野にいの池の帰属をめぐり、「あきさたのきんしゆ(秋貞郷給主か)高松社神主が相論し、同じく社領と認定されている。当郷にはほかにも高松社の神田が存在し、文和四年(一三五五)三月八日には得元とくもと郷内の神田の替えとして秋貞郷内の正作・収納使田三ヵ所が神田とされる(惣政所道明打渡状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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