程長庚(読み)ていちょうこう(英語表記)Chéng Zhǎng gēng

改訂新版 世界大百科事典 「程長庚」の意味・わかりやすい解説

程長庚 (ていちょうこう)
Chéng Zhǎng gēng
生没年:1812?-82?

中国の清代,京劇形成期の俳優,京劇の開山祖師。名は椿,字は玉珊(ぎよくさん)。安徽省潜山の人。咸豊(1851-61)・同治(1862-74)期に北京において四大徽班(安徽省の三慶,四喜,春台,和春の四大劇団)の一つである三慶班の座頭をつとめるとともに,俳優,雑戯芸人の同業ギルドであった精忠廟の廟主として重きをなした。漢調,昆腔などの地方劇のふし(唱腔)を巧みに融合させて京劇のふしと立回りの表現の確立に大きな役割を果たし,みずからは立役である老生を演じて一世を風靡した。そのふしは剛健素朴,〈屋根の瓦も動く〉といわれる。《三国演義》に取材した《群英会》などの出しもので当りをとり,〈伶聖〉の名をほしいままにした。また春台の余三勝,四喜の張二奎とともに京劇老生の三傑とも称され,譚鑫培,汪桂芬(1860-1906),孫菊仙(1841-1931)らの名優を育てあげた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「程長庚」の意味・わかりやすい解説

程長庚
ていちょうこう
(1811―1880)

中国、清(しん)代の京劇俳優。本名は椿(ちん)、字(あざな)は玉珊(ぎょくさん)。安徽(あんき)省潜山の人。京劇創始期の老生(せい)(立役)。科班(かはん)(一説には崑班(こんはん))の出身で、1850年代から三慶班の座頭を務め、精忠廟(せいちゅうびょう)(半官の俳優組合)の廟主でもあった。彼は二黄(にこう)調を基に西皮(せいひ)の曲調を加え、崑曲(こんきょく)からも吸収して京劇の曲調を編み出し、余三勝(よさんしょう)や張二奎(ちょうじけい)とともに老生三傑とよばれた。力強い節回しと豊かな声量で知られ、『文昭関(ぶんしょうかん)』の伍子胥(ごししょ)や『群英会(ぐんえいえ)』の魯粛(ろしゅく)、『戦長沙(せんちょうさ)』の関羽(かんう)などが有名。また老生以外の役柄も幅広くこなした。一座の運営に心を砕いて人望が厚く、譚鑫培(たんきんばい)や孫菊仙(そんきくせん)、楊月楼(ようげつろう)ら多くの名優を育てた。

[刈間文俊]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「程長庚」の意味・わかりやすい解説

程長庚
ていちょうこう
Cheng Chang-geng

[生]嘉慶16(1811).安徽
[没]光緒5(1879)
中国の京劇俳優。字は玉山 (珊) 。劇聖として京劇創成期に活躍。老生役を得意としたが,ほか小生 (二枚目) も,旦 (女方) も演じ分ける芸域の広さを誇った。規則正しく豪快で明快な唱法をもつ正攻派で,京劇独特の節 (ふし) を編出した功績は大きい。のち三慶班の座頭となり,一世を風靡した。 (→〈しょう〉)

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世界大百科事典(旧版)内の程長庚の言及

【京劇】より

…さらにそのうえに,江蘇に発生し長年主流の座をしめてきた崑曲(こんきよく)や,秦腔系の梆子(ほうし),弋陽腔(よくようこう)の系統をひく京腔など,多くの先行伝統劇種の様式や曲調の長所をも吸収して飛躍的に成長し,劇界の覇者となるに至った。北京の徽班は名優を輩出したが,中でも創成期に活躍した程長庚(ていちようこう)は,皮黄戯の鼻祖ともいわれる。その後継者で諸流派を集大成した譚鑫培(たんきんばい),さらには近代の名女形,梅蘭芳(ばいらんほう)等々,数多くの天才的俳優たちのたえざる創造と充実の努力がなされた結果,京劇は歌,踊り,立回りのいずれの面でも高度の発展をとげ,今日みられるような様式美を確立した。…

※「程長庚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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