稚児橋
ちごばし
児橋とも書き、巴川児橋ともいった。東海道の巴川に架かる橋で、江尻宿内の魚町と入江町を結ぶ。慶長一六年(一六一一)に駿府町奉行畔柳寿学の命によって板橋が架けられ、このときは長さ一九間、袖各一間で、合せて二一間であったという(江尻旧記)。宿村大概帳によると高欄付の板橋で、長さは一九間半、横三間・橋杭三本立八組の規模で、御普請所であった。宝暦一二年(一七六二)巴川の増水で流失し、仮板橋と渡船で東海道の往来を確保したが、江尻宿と江尻五町がその往来をめぐって対立している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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