稚内村(読み)わつかないむら

日本歴史地名大系 「稚内村」の解説

稚内村
わつかないむら

[現在地名]稚内市中央ちゆうおう一―五丁目・宝来ほうらい一―五丁目・恵比須えびす一―五丁目・みなと一―五丁目・大黒だいこく一―五丁目・末広すえひろ一―五丁目・潮見しおみ一―五丁目・みどり一―六丁目・ノシャップ一―五丁目・富士見ふじみ新光町しんこうちよう富岡とみおか一―六丁目・朝日あさひ一―五丁目・こまどり一―五丁目・さかえ一―五丁目・萩見はぎみ一―五丁目・はまなす一―五丁目・若葉台わかばだい新末広町しんすえひろちよう開運かいうん一―二丁目・新港町しんみなとちよう・大字稚内村字ウロンナイ・字ルエベンルモ・字マタルナイ・字ルエラン・字キタウケナイ・字ヤムワッカナイ

明治一一年(一八七八)一〇月に成立した宗谷郡の村。「状況報文」によれば南東は声問こえとい村、南は抜海ばつかい村。北は半島状をなし北端野沙布のしやつぷ(現野寒布岬)。稚内半島の東は宗谷湾に面し、稚内港がある。「西蝦夷日誌」などに「ヤムワツカナイ」とある。古くから当村沿海は漁場とされた。一八六〇年代(文久頃)福山の田中某が当村の西海岸に出稼に来、続いて南部の中島要之助ら数名がルエランに来て鰊漁を行い、明治に入り野沙布岬の東に漁場を広げた。

稚内村
わつかないむら

明治三三年(一九〇〇)から同三四年まで存続した宗谷郡の村。明治三三年七月一日、稚内村・抜海ばつかい村・声問こえとい村の三村が合併し、一級町村稚内村となった。「稚内町沿革誌」には明治三三年に「戸長役場ヲ廃シ一級町村制ヲ施行セラル 且ツ逐年漁業繁盛ニシテ戸口増殖シ今ヤ北見国中第一ノ市邑トナルニ至レリ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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