稚内市(読み)ワッカナイシ

デジタル大辞泉 「稚内市」の意味・読み・例文・類語

わっかない‐し【稚内市】

稚内

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「稚内市」の解説

稚内市
わつかないし

面積:七六〇・八〇平方キロ

昭和二四年(一九四九)に宗谷郡稚内町が市制を施行して成立。同三〇年に同郡宗谷村を合併して現市域となった。日本の最北端の市。宗谷支庁管轄域の北部に位置し、西は日本海、東はオホーツク海、北は宗谷海峡に臨み、南は宗谷郡猿払さるふつ村・天塩郡豊富とよとみ町に接する。西方に利尻りしり島・礼文れぶん島がある。東西三八・二キロ、南北三九・二キロ。海岸線は六四キロ。山林は市域の二一・五九パーセント、原野は一八・六六パーセント、宅地は一・〇四パーセント、畑は一三・三パーセント(平成一三年度「宗谷の統計」)。市域は地形的な特徴に基づいて宗谷丘陵幕別まくべつ平野、および一部サロベツ原野に区分される。おもな道路は道央部に向かう国道四〇号、オホーツク海沿いの国道二三八号、主要道道では内陸部を通る稚内―幌延ほろのべ線、日本海側を通る稚内―天塩線がある。鉄道はJR宗谷本線が通り、市域に稚内・南稚内・抜海ばつかい勇知ゆうち各駅が設置されている。稚内港からは利尻島礼文島と結ぶ航路(東日本海フェリー)や、サハリンと結ぶ国際航路があり、宗谷湾に面して稚内空港がある。日本海を北上し宗谷海峡に流れ込む対馬暖流、オホーツク海を下り千島列島に流れ込む東樺太海流などや、初夏のオホーツク海に停滞する発達した高気圧、真夏の太平洋高気圧、一月下旬から二月にかけてオホーツク海からくる流氷などによって北海道北部域ならではの天候である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「稚内市」の意味・わかりやすい解説

稚内〔市〕
わっかない

北海道の最北端にある市。宗谷総合振興局所在地。1949年市制。1955年宗谷村を編入。地名はアイヌ語ヤムワッカナイ(冷水沢の意)に由来。江戸時代初期に樺太(→サハリン島)への渡り口として重要視され,勤番所の宗谷場所が設置されてからは,オホーツク海沿岸から樺太までの漁場経営の中心地として発展。1905(明治38)年南樺太の領有により,連絡港として 1920年稚内港の築港に着手。1923年樺太との連絡船が就航。1922年国鉄天北線(1989廃線)が開通,1926年宗谷本線が開通して日本の北の玄関口としての地位を確立した。第2次世界大戦後樺太を失ったが,1957年に稚内港が国の重要港湾に指定され,沖合漁業の基地,利尻島礼文島へのフェリー基地として発展。1995年サハリンのコルサコフ(大泊)との間に定期航路(期間運航)が再開され,貿易や人の往来が盛んになった。産業は水産業と畜産業が中心。氷雪の門,ノシャップ寒流水族館,日本最北端(北方領土を含まない場合)の宗谷岬,広大な原生花園など観光名所も多い。市域の一部は利尻礼文サロベツ国立公園に属する。稚内空港からは東京,大阪(期間運航)をはじめ,札幌や利尻島,礼文島との間に空の便がある。国道40号線,238号線の終点。面積 761.47km2。人口 3万3563(2020)。

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