日本歴史地名大系 「稚内町」の解説
稚内町
わつかないちよう
明治三四年(一九〇一)稚内村が改称して成立し、昭和二四年(一九四九)まで存続した宗谷郡の町。道庁告示第一九一号によって明治三四年五月一一日に稚内町となる。同四一年三月発行の「殖民公報」第四一号によると、明治四〇年末の戸数九八〇・人口四千八〇〇。宗谷支庁・町役場・区裁判所・税務署・警察署・郵便局・漁業組合・水産組合・産牛馬組合・北海道銀行稚内支店宗谷支金庫・日本銀行出張所・函館税関稚内監視署・稚内灯台などの官公庁が置かれ、漁業は鰊・鮭を主とし、海鼠・昆布・鮮魚などを産した。小樽―稚内間の航路があった。また「稚内市街は元と漁業に依りて発達せしものにして、附近には農耕適地少なく地味亦概不良にして著しき発達を期し難く、漁業品の外他に産物として見るべきものなし、然れとも同港は北見沿岸の要港にして樺太と一葦帯水の近きに在り、又支庁、警察署、并に各金融機関等の設けある為め同地に往来するもの少なからす」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報