稲垣乙丙(読み)イナガキ オトヘイ

20世紀日本人名事典 「稲垣乙丙」の解説

稲垣 乙丙
イナガキ オトヘイ

明治・大正期の農学者 農科大学名誉教授



生年
文久3年11月4日(1863年)

没年
昭和3(1928)年3月27日

出生地
信濃国諏訪郡上諏訪村(長野県諏訪市)

旧姓(旧名)
柴田

学歴〔年〕
東京高等師範卒,帝国大学農科大学卒

学位〔年〕
農学博士〔明治33年〕

経歴
上諏訪村の柴田新吉の弟に生まれ、小諸の稲垣重為の養嗣子となる。長野県師範学校、東京高等師範学校を卒業し、更に東京農林学校から帝国大学農科大学、同大学院に進んだ。明治30年東京高等師範学校教授となり、33年農学博士の学位を受け4年間ドイツに留学。帰国後、盛岡高等農林学校教授を経て、39年母校の帝国大学農科大学教授となり農林物理学・気象学を教える。大正11年退官して名誉教授。晩年は人口食糧調査会委員を務めた。著書に「農学楷梯」「農業入門」「農地改良学」「農芸物理気象学」「農業辞典」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「稲垣乙丙」の解説

稲垣乙丙 いながき-おとへい

1863-1928 明治-大正時代の農学者。
文久3年11月4日生まれ。明治30年高等師範教授,33年ドイツに留学。盛岡高農教授をへて,39年母校東京帝大の教授となり,農林物理学,気象学をおしえる。大正11年退官。のち人口食糧調査会委員をつとめた。昭和3年3月27日死去。66歳。信濃(しなの)(長野県)出身旧姓は柴田。著作に「農学楷梯(かいてい)」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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