稲田昌植(読み)イナダ マサタネ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「稲田昌植」の解説

稲田 昌植
イナダ マサタネ


肩書
元・貴族院議員,元・東京農業大学教授

生年月日
明治23年8月

出生地
北海道札幌

学歴
北海道帝国大学農科大学〔大正4年〕卒 東京帝国大学法科大学〔大正8年〕卒

経歴
東京外国語学校、東京農大各教授を歴任、昭和14年貴族院議員、拓務政務次官となり22年退官。この間、全国養蚕連合会長、全国製粉配給社長、中央食糧営団総裁、全国スキー連盟会長、農史研究所長などを歴任。戦前植民政策植民事業を推進。農業問題と植民政策の研究で業績を残した。著書に「婦人農業問題」「農民離村の研究」「植民と農政」「世界農業史論」などがある。

没年月日
昭和43年11月28日

家族
父=佐藤 昌介(北大総長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

関連語 学歴

20世紀日本人名事典 「稲田昌植」の解説

稲田 昌植
イナダ マサタネ

大正・昭和期の農政学者,政治家 元・東京農業大学教授;元・貴族院議員。



生年
明治23(1890)年8月

没年
昭和43(1968)年11月28日

出生地
北海道札幌

学歴〔年〕
北海道帝国大学農科大学〔大正4年〕卒,東京帝国大学法科大学〔大正8年〕卒

経歴
東京外国語学校、東京農大各教授を歴任、昭和14年貴族院議員、拓務政務次官となり22年退官。この間、全国養蚕連合会長、全国製粉配給社長、中央食糧営団総裁、全国スキー連盟会長、農史研究所長などを歴任。戦前の植民政策、植民事業を推進。農業問題と植民政策の研究で業績を残した。著書に「婦人農業問題」「農民離村の研究」「植民と農政」「世界農業史論」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「稲田昌植」の解説

稲田昌植 いなだ-まさたね

1890-1968 大正-昭和時代の農政学者,政治家。
明治23年8月28日生まれ。佐藤昌介(しょうすけ)の次男。大正9年東京外国語学校教授,のち東京農大教授。昭和14年貴族院議員となり,農林関係を中心外郭団体要職につき,植民事業を推進した。昭和43年11月28日死去。78歳。北海道出身。東京帝大卒。著作に「婦人農業問題」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ドクターイエロー

《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...

ドクターイエローの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android