日本歴史地名大系 「稲葉宿」の解説
稲葉宿
いなばしゆく
美濃路の宿駅で稲葉・
「尾張志」による宿設定は慶長五年(一六〇〇)とあるが、「地方古義」では清洲宿の設定を同七年、再整備を元和二年(一六一六)とするので、この前後と推定される。寛永年間(一六二四―四四)に小沢村が加わり、計一千一〇四石三斗余(概高一千五四九石余)の宿高で勤め(地方古義)、正保二年(一六四五)砂入により概高一三八石余が免除となった(徇行記)。藩独自に指定した助郷の寄付村は一一ヵ村(寛文覚書)、元禄七年(一六九四)には幕府指定の定助郷村が二一ヵ村、概高一万四三三石となり(徇行記)、これ以外に文政五年(一八二二)の御尋ニ付申上候書付(「稲葉宿記録」一宮図書館蔵)に「定無御座候繁時分、多人馬入用之節ハ清洲御陣屋江御達申上候ハヽ御聞済之上、外村々江人馬入用高被仰付候」と、大助郷もあった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報