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稲葉正明 いなば まさあき

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

稲葉正明 いなば-まさあき

1723-1793 江戸時代中期の大名。
享保(きょうほう)8年生まれ。山城(京都府)淀(よど)藩主稲葉正親(まさちか)の3男。兄正福(まさとみ)のあと稲葉正員(まさかず)系の分家3000石を相続。田沼意次(おきつぐ)のもとで側御用取次(そばごようとりつぎ)となる。加増により安房(あわ)(千葉県)などに1万石を領し,天明元年館山(たてやま)藩主稲葉家初代。6年意次の失脚により失職,前年加増の3000石を没収された。寛政5年8月5日死去。71歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

稲葉正明

没年:寛政5.8.5(1793.9.9)
生年:享保8(1723)
江戸中期の幕臣。老中田沼意次の政権を,将軍側近として支えた江戸幕府の御用取次。幼名留之助のち越中守,越前守。父は山城国(京都府)淀藩主正親。稲葉正福(実は次兄)の養子となり分家を継ぐ。西丸小性,本丸小姓から小姓組番頭格,御用取次見習を経て,宝暦5(1755)年側衆,御用取次となる。田沼意次に次ぐ側用人大岡忠光の有力な後継者となる。加増を重ねて大名に列し,1万3000石を領した。天明6(1786)年田沼と同時に失脚し,加増分のうち3000石を削られ,家格を落とされ,出仕を止められたが,間もなく許された。寛政1(1789)年致仕した。

(山田忠雄)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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