…江戸時代の大名家。伊予にあって越智(おち)氏を称したが,1464年(寛正5)美濃に移り,守護土岐成頼に仕え,のち稲葉と改姓した。土岐氏没落の後は,斎藤氏,織田氏,豊臣氏と主を変え,貞通は1588年(天正16)美濃国郡上(ぐじよう)八幡4万石の城主となった。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦では,当初西軍,合戦前に東軍に加わった。戦後,豊後臼杵5万石に転封。江戸時代を通じて領地は変わらず明治維新を迎えた。…
…南の吉田川,西の小駄良川によって自然の要害をなす八幡山に1559年(永禄2)遠藤盛数が築城したのがはじまりとされる。その後,豊臣秀吉の家臣稲葉貞通が天守閣を建設し,一向一揆の勢力削減を目的として名刹安養寺を大島から移転するなど,城・城下町の建設は進んだ。1600年(慶長5)の八幡城の戦の功により遠藤氏がこの地に復帰し,3代常友治政下の52年(承応1)の大火以降,本格的な城下の整備・拡充が行われた。…
※「稲葉貞通」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
その議会の過半数には達しないが、議席数をもっとも多くもつ政党。...