朝日日本歴史人物事典 「稲葉貞通」の解説
稲葉貞通
生年:天文15(1546)
安土桃山時代の武将。稲葉一鉄(良通)の長男。母は三条西公条の娘。通称彦六。右京亮を称した。天正7(1579)年,父の譲りをうけて美濃曾根城主となり,織田信長に仕えて各地で戦功をあげた。本能寺の変(1582)後,父と共に豊臣秀吉に属し,伊勢攻め,九州攻めに従軍し,天正16年,郡上八幡城に移り,羽柴郡上侍従の名で呼ばれた。関ケ原の戦(1600)には西軍に属して尾張犬山城に籠ったが,織田秀信の岐阜城落城後徳川家康に降服し,続く伊勢長島攻め,近江水口城攻めを命じられて戦い,戦後,豊後臼杵5万石に転封されている。
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報