稲葉通邦(読み)いなば・みちくに

朝日日本歴史人物事典 「稲葉通邦」の解説

稲葉通邦

没年享和1.4.25(1801.6.6)
生年:延享1(1744)
江戸中期の有職故実家尾張(名古屋)藩藩士稲葉通経の子。通称喜三郎。字は君達。岡田重定に入門して古流故実を学び,重定の隠居後は師家を継承して門弟を教授した。藩の御書物調御用,御図書吟味役などを務め,『神祇宝典』『類聚日本紀』の校定,『張州府志』『尾陽志略』『木曾志略』の改正補訂などに従事した。『将門記』『和名類聚抄』の零本の影写を刊行する一方,尾張周辺の古武器類の実測調査を行い,その復元を試みるなど,文献だけでなく遺物と実見によって総合的に研究した。河村秀根,神村正鄰,石原正明らと共に『令義解』を協同研究し,その成果を『講令備考』にまとめた。

(白石良夫)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「稲葉通邦」の解説

稲葉通邦 いなば-みちくに

1744-1801 江戸時代中期-後期の有職(ゆうそく)家。
延享元年生まれ。尾張(おわり)名古屋藩士。父通経(みちつね)に小笠原流礼法をならい,岡田重定から古流故実伝(五味流)を相承。国学・漢学・本草学もまなぶ。藩祖徳川義直(よしなお)著「神祇(じんぎ)宝典」などを校定。古文献や古武具を調査・研究し,それらの影写刊行と復元につとめた。享和元年4月25日死去。58歳。字(あざな)は君達。通称は喜三郎,喜蔵。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「稲葉通邦」の意味・わかりやすい解説

稲葉通邦
いなばみちくに

[生]延享1(1744)
[没]享和1(1801).4.25.
江戸時代後期の国学者,故実家。尾張藩士。通称喜三郎,のち喜蔵と改める。著作『古流故実伝』『山路雫』。

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世界大百科事典(旧版)内の稲葉通邦の言及

【河村秀穎】より

…尾張藩士で,天野信景を師として国学を学び,また有職故実,律令にも通じた。稲葉通邦,石原正明,神村正鄰らと律令講読会を組織し,その研究成果は通邦の編する《講令備考》10巻(《続々群書類従》所収)として結実した。また弟秀根の《書紀集解(しつかい)》の執筆にも協力。…

【河村秀根】より

…字は君律,号は葎庵。藩主徳川宗春に出仕のかたわら,兄秀穎(ひでかい)とともに神道・国学を学び,《日本書紀》などの古典を研究,また稲葉通邦らと律令講読会を組織。代表的著書《書紀集解(しつかい)》は秀穎と子益根(ますね)の協力により,没後に完成。…

【律令法】より

…降って室町時代に一条兼良は《令抄》を著したが,これも古来の注釈を摘記したものにすぎない。ついで江戸時代に入ると漢学者,国学者の双方による律令研究が盛行し,注釈書を残した者に壺井義知(つぼいよしちか)(1657‐1735),荷田春満(かだのあずままろ),稲葉通邦(いなばみちくに)(1744‐1801),河村秀穎(ひでかい),河村秀根(ひでね),薗田守良(そのだもりよし)(1785‐1840),近藤芳樹などがあるが,依然として研究の中心は解釈学におかれていた。 しかし近代史学の発達とともに,律令の研究はその解釈にとどまらず,多方面にわたって深化した。…

※「稲葉通邦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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