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稷下の学 しょくかのがくJi-xia-xue

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

稷下の学
しょくかのがく
Ji-xia-xue

中国,戦国時代学問。斉では威王 (在位前 357~320) ,宣王 (在位前 319頃~301頃) の頃を中心に都の臨 淄 (りんし) の稷門 (城の西門) 外に学堂を建て,広く天下の学者を集めて邸宅を与え,自由に研究させたのでこの名がある。荀子鄒衍 (すうえん) らもここで学び,当時の学問の一大中心地として中国文化の発展に大きな役割を果した。

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デジタル大辞泉の解説

しょくか‐の‐がく【×稷下の学】

中国、戦国時代、斉(せい)に興った諸子の学。斉の都臨淄(りんし)に集まった思想家弁士などによって、それまで行われていたさまざまな諸思想が総合され、多くの独自な思想グループを形成していった。下とは、臨淄の稷門のあたりの意。

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世界大百科事典内の稷下の学の言及

【宣王】より

…そのため斉の勢力は東方諸国中最大となり,都の臨淄(りんし)は繁栄を極めた。また王は,城西の稷門(しよくもん)付近に邸宅をしつらえて学者を優遇したので,鄒衍(すうえん),淳于髡(じゆんうこん),田駢(でんべん)ら天下の文学遊説の士が雲集して文化学術の中心となり,いわゆる稷下(しよくか)の学を形成した。【永田 英正】。…

【稷門】より

…戦国斉の盛時,学問を愛好した威王や宣王は学者を招き,稷門付近に邸宅を建てて住まわせ,多額の生活費を与えて論争や著述に従事させた。その数は数百人から1000人にものぼり,稷下の学士とか稷下先生とよばれた。宣王時代の鄒衍(すうえん),淳于髡(じゆんうこん),田駢(でんべん),慎到らはとくに有名である。…

※「稷下の学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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