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…そのため斉の勢力は東方諸国中最大となり,都の臨淄(りんし)は繁栄を極めた。また王は,城西の稷門(しよくもん)付近に邸宅をしつらえて学者を優遇したので,鄒衍(すうえん),淳于髡(じゆんうこん),田駢(でんべん)ら天下の文学遊説の士が雲集して文化学術の中心となり,いわゆる稷下(しよくか)の学を形成した。【永田 英正】。…
…戦国斉の盛時,学問を愛好した威王や宣王は学者を招き,稷門付近に邸宅を建てて住まわせ,多額の生活費を与えて論争や著述に従事させた。その数は数百人から1000人にものぼり,稷下の学士とか稷下先生とよばれた。宣王時代の鄒衍(すうえん),淳于髡(じゆんうこん),田駢(でんべん),慎到らはとくに有名である。…
※「稷下の学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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