20世紀日本人名事典 「穂積五一」の解説 穂積 五一ホヅミ ゴイチ 昭和期の社会教育家 海外技術者研修協会理事長。 生年明治35(1902)年3月26日 没年昭和56(1981)年7月17日 出生地愛知県豊橋市 学歴〔年〕東京帝大法学部〔昭和4年〕卒 主な受賞名〔年〕国際交流奨励賞〔昭和50年〕 経歴東大教授上杉慎吉を指導者とする学生の恩想団体「七生社」(大正14年結成)の育成にあたり、この結社の学生宿舎「至軒寮」(戦後「新星学寮」と改称)の主監として、留学生の世話をする傍ら、アジア民族運動にも参加した。昭和32年(財)アジア学生文化協会を創設し、理事長に就任。さらにアジア文化会館を創設、アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどから2万人を超える留学生を受け入れ、国際交流に貢献した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「穂積五一」の解説 穂積五一 ほづみ-ごいち 1902-1981 昭和時代の社会教育家。明治35年3月26日生まれ。東京帝大教授上杉慎吉の私塾である至軒寮(戦後,新星学寮と改称)の主監となる。昭和32年アジア学生文化協会,ついでアジア文化会館を創設,東南アジアを中心とした発展途上国の留学生・研修生の受け入れにつくした。昭和56年7月17日死去。79歳。愛知県出身。東京帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by