穴石郷
あなしごう
「和名抄」下毛郡七郷の一つの系譜をひく中世郷。「太宰管内志」は、「穴師は阿奈志とよむべし」とし、羅漢寺(現本耶馬渓町)の奥に金石谷(現耶馬渓町金吉か)というところがあり、ここに比定している。「豊前志」は冠石野(現本耶馬渓町)を写し誤ったと考えている。建武四年(一三三七)三月二九日の左近将監親資奉書(黒水文書)に「下毛郡穴石郷武行名内永町島町五町事」とあり、久保彦三郎へ与えられている。久保氏は大蔵氏一族で、下毛郡黒水村(現中津市加来字黒水)を本貫とする地頭で、島町は近くに字名として残る。嘉禄元年(一二二五)頃の宇佐宮行幸会大根河社納物注文(永弘文書)に「穴石九郎貫首」がみえる。
穴石郷
あなしごう
「和名抄」下毛郡七郷の一。諸本に訓はなく、他国にも同名の郷はない。「大日本地名辞書」は「アナイハ」とよむ。「太宰管内志」には「穴師は阿奈志とよむべし」とみえ、青柳大人の言を引いて名義を「穴礎部の居たりし処なるべし」とし、羅漢寺(現本耶馬渓町)の奥、玖珠郡境の「金石谷」付近に比定している。金石谷とは山国川の支流、金吉川流域谷間の現耶馬渓町金吉一帯のこと。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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