窪屋郡(読み)くぼやぐん

日本歴史地名大系 「窪屋郡」の解説

窪屋郡
くぼやぐん

和名抄」東急本(国郡部)刊本に「久保也」の訓がある。諸本とも大市おおち阿智あちみす(三須)真壁まかべ軽部かるべの郷名をあげ、天平一一年(七三九)備中国大税負死亡人帳(正倉院文書)にみえる美和みわ郷を欠く。諸本が元来は美の訓である三須を独立郷としてあげているのは、「和名抄」写本の早い時期に誤記されたことによるものであろう。当郡は本来美和郷を含む六郷からなる郡で、令制の区分からすると下郡にあたる。「延喜式」神名帳には百射山ももいやま足高あしたか菅生すごうの三社をあげる。東は都宇つう郡、北は賀陽郡、西は高梁たかはし川をほぼ境として下道郡に対し、南は海を挟んで児島こじま郡。現在の総社市の高梁川東岸の南部地域、都窪つくぼ山手やまて村・清音きよね村、倉敷市北部・西部地域からなる。

弥生後期の墳丘墓としては鋳物師谷いぶしだに墳墓(清音村)があり、総社市三輪の宮山みわのみややま墳墓群は弥生後期から古墳時代にわたる首長層の墳墓群として知られる。総社市東南辺から山手村にかけての地域には多くの前方後円墳がある。前期古墳としては全長二八六メートルの作山つくりやま古墳(総社市、全国第九位)、長軸の長さ約一二〇メートルの宿寺山しゆくてらやま古墳(山手村)が代表的で、後期古墳としては一九・八メートルの巨大横穴式石室をもつこうもりづか古墳(総社市)江崎えざき古墳(同上)など、各時期の古墳が集中している。このことは、当地域が古代吉備の代表的首長勢力の本拠地の一つであったことをうかがわせる。七世紀頃に瓦・須恵器などを生産した末の奥すえのおく窯跡群(山手村)があり、奈良時代には備中国分寺国分尼寺(総社市)もこの地域に営造されている。

〔古代〕

「窪屋」の文献上の初見は「日本書紀」雄略天皇元年三月是月条に、雄略の妃の一人の稚媛の出身について、書紀本文では吉備上道臣の娘と記し、その分注に「一本に云はく、吉備窪屋臣女といふ」と記されているものだが、窪屋臣に関しては他に史料はない。天平一一年備中国大税負死亡人帳には、郡内の一五名が計一千五九束の大税を借りて死亡したことを記している。同史料にみえる氏名は、下道朝臣一・下道臣一・語直一・軽部首二・軽部二・美和首一・神首一・神人部一・白髪部首一・白髪部二・物部三・私部二・刑部一・出雲部一・家部一・爾麻部二・氷人一の一七氏二四名であるが、その複雑な氏族構成は当郡域をも含む古代吉備の歴史を暗示するといえよう。下道朝臣・下道臣は古代吉備の代表的支配氏族の一つで、八世紀代の本拠は当郡西隣の下道郡にあったとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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