日本歴史地名大系 「竈新田」の解説 竈新田かまどしんでん 静岡県:御殿場市竈新田[現在地名]御殿場市竈川島田(かわしまた)村・杉名沢(すぎなさわ)村の南に位置する。南流する黄瀬(きせ)川を挟んで東は沼田(ぬまた)村、同じく南流する久保(くぼ)川を挟んで西は神場(じんば)村。村の東部を御殿場道が縦断し、集落は同道に沿った竈新田(上宿・中宿・下宿からなり、宿ともいう)と上(かみ)新田(古くは大沢新田といった)・中新田(払堰とも)の三つに分れる。川島田村境の御殿場道沿いには杉並木があり、安永二年(一七七三)の並木書上覚(竈区有文書)によれば、杉四五〇本が植えられていた。貞享三年(一六八六)の指出帳(同文書)や延享三年(一七四六)の竈新田開発記写(小林家文書)によると、当新田は寛永一五年(一六三八)に奥住新左衛門によって開発されている。新左衛門は近江浅井氏の家臣で、主家没落後、信濃真田氏に仕えたが、のち牢人となり、寛永七年頃御厨(みくりや)地方にやってきた。初め二枚橋(にまいばし)村の膏薬屋(勝又家)に草鞋を脱ぎ、その頃は大沢(おおさわ)新田とよばれていた上新田の九郎右衛門宅に身を寄せ、当新田の開発に着手、開発にあたって甥の小林兄弟を信州から呼び寄せている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by