立木鉱山跡(読み)たてきこうざんあと

日本歴史地名大系 「立木鉱山跡」の解説

立木鉱山跡
たてきこうざんあと

[現在地名]朝日町立木

朝日川上流の白滝しらたきから朝日鉱泉にかけてあった銅・鉛を産する鉱山跡。正保三年(一六四六)の庄内三郡左沢浮役帳に鉛山水呑役二両、立木鉛山運上九二六匁七分五厘とある。また慶安年間(一六四八―五二)以後の鉱山の様子を記録した万覚書(佐竹文書)に、切立きりたて金山がありだいぶ栄えたこと、その後しゅめんというところに鉛山が見つかり、丹後敷などといって盛んになったこと、赤山白山が盛りのときに太頭制度が定められたこと、そのとき城米蔵を五郎右衛門屋敷に建て、鉛山の山師どもに五郎右衛門が直払いし、その代金を役所に納めていたことなどが記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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