立生館跡(読み)りゆうしようかんあと

日本歴史地名大系 「立生館跡」の解説

立生館跡
りゆうしようかんあと

[現在地名]水沢市 表小路

水沢城表門際の現在も聳立する姥杉近くにあった水沢城主留守氏の学館。寛永六年(一六二九)留守宗利が水沢城に入城すると、鋭意領内の治を図り力を文学の振興に注いだが、なかでも大安だいあん寺三世松屋・四世峻嶺のごとき傑出した学僧をして盛んに講筵を開かせたといわれる。その後相沢慶往・須田文内・黒木義喬らが現れ、代々家中の子弟を教授し大いに実績が上った。

文政(一八一八―三〇)の頃儒者として名のある堀籠胆水(順三郎)が現れた。胆水は仙台養賢ようけん堂に学び大槻平泉師事、のち江戸昌平しようへい黌に学び、業成って水沢に帰り諸生を教授した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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