日本大百科全書(ニッポニカ) 「箕作省吾」の意味・わかりやすい解説
箕作省吾
みつくりしょうご
(1821―1846)
幕末の世界地理学者。名は寛、字(あざな)は玉海。夢霞(むか)山人、蘭山(らんざん)などと号した。省吾は通称。文政(ぶんせい)4年、陸中国(岩手県)水沢藩佐々木秀規(ひでのり)の次男として生まれる。少年期から蘭学を坂野長安に学び、江戸に出て師の推賞する箕作阮甫(げんぽ)に入門して才能を認められ、三女しん(千万(ちま))の婿養子となる。結婚の年に、それまで最新だった高橋景保(かげやす)撰(せん)『新訂万国全図』より新しい世界地図『新製輿地全図(しんせいよちぜんず)』(1844)を編訳した。ついで、多数のオランダ語地理書から訳出し、日本人の立場から構成、体系化した世界地誌で『新製輿地全図』の解説を兼ねる『坤輿図識(こんよずしき)』(5巻・1845、補4巻・1846)を著述したが、肺を病んで補巻の完成を待たずに死去した。著書は幕末期に広く読まれ、鍋島斉正(なべしまなりまさ)(直正)や井伊直弼(なおすけ)、吉田松陰(しょういん)やその門弟たちも本書によって世界への目を開かれたという。
[石山 洋]
『蘭学資料研究会編『箕作阮甫の研究』(1978・思文閣出版)』