立磐神社(読み)たていわじんじや

日本歴史地名大系 「立磐神社」の解説

立磐神社
たていわじんじや

[現在地名]日向市美々津町

美々津みみつ町の北端、耳川北岸に鎮座祭神は底筒男命・中筒男命・表筒男命。旧郷社。弘治二年(一五五六)六月吉日の土田帳写(予章館文書)には、「ミヽ 立岩大明神領」として「野別符之内代か原」二反小、「同所興ノ」田一反、「同所松くき」田一反・屋敷一ヵ所とみえる。野別府のびゆうは耳川河口部右岸から南は小丸おまる川に至る地域名称である。神社に残る棟札によると元和九年(一六二三)・寛文八年(一六六八)・宝永二年(一七〇五)・享保九年(一七二四)・享和三年(一八〇三)に修復されている。


立磐神社
たていわじんじや

夜支布山口神社の摂社。社殿背後の巨岩を神体とする古い信仰形態をとどめる。祭神は手力雄たぢからお命。「延喜式」神名帳の添上郡「天乃石吸イハスヒノ神社」にあてる説がある。口碑によると、神野宮は立磐神社で、夜支布山口神社は現地より六〇〇メートルほど南の小字山口やまぐちから遷祀したという。社蔵の延宝五年(一六七七)の「奉正遷宮神野宮大明神社頭康栄庄内繁昌所願成就所」と記した棟札も立磐社のものとされる。立磐神社本殿(国指定重要文化財)は延享四年(一七四七)春日社第四殿を拝領したもので、春日大社所蔵の「延享二乙丑九月吉日同三年同四年春日御造宮古物支配之記」に「四御殿ヲ祐実支配之大柳生村へ銀壱貫六百目ニ被遣之也金物ナシ金物ハ別に権官中へ御預金子被遣之鍵并打立金物正預支配之依之予へ相願ニ付了簡ニテ礼金今用捨金二分ニテ遣之」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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