日本歴史地名大系 「竜王河原宿」の解説 竜王河原宿りゆうおうかわらしゆく 山梨県:中巨摩郡竜王町竜王村竜王河原宿[現在地名]竜王町竜王伝承によれば、信玄堤が築かれた時に近隣の西山(にしやま)郷と輿石(こしいし)(越石)郷の人々が移住することによって成立したとされるが(竜王村史)、天文一二年(一五四三)一二月吉日の武田晴信朱印状(慈照寺文書)には「河原宿」がみえ、当地の井上源右衛門尉が二貫七〇〇文を竜王の慈照(じしよう)寺に寄進しており、武田晴信はそれを安堵している。永禄三年(一五六〇)八月二日の武田信玄印判状(保坂達家文書)では「竜王之川除」に家を作り移住した場合には棟別役一切を免除するとあり、通説ではこれが竜王河原宿成立の根拠とされるが、河原宿についての記述がないので疑問が残る。当地にあった石橋には同四年の銘があり、市之丞が架橋したという(竜王村史)。同八年四月晦日の武田家朱印状写(同書)によれば、河原宿には五〇軒が存在し、内訳は西山郷一七・越石(こしいし)五・篠原(しのはら)三・八幡(やはた)一四、大下条(おおしもじよう)(現敷島町)二・甘利上条(あまりかみじよう)(現韮崎市など)二・野牛島(やごしま)(現八田村)一・寺部(てらべ)(現若草町)一・上八田(うえはつた)(現白根町)一・坂ひたい(現不明)四となっており、釜無川・御勅使(みだい)川流域の出身者によって構成されており、春棟別のみを免許され、秋棟別は賦課されていたことが記されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by