竜王町(読み)りゆうおうちよう

日本歴史地名大系 「竜王町」の解説

竜王町
りゆうおうちよう

面積:一二・八二平方キロ(境界未定)

郡の東端甲府盆地の北西部に位置し、盆地西部を北から南に流れる釜無川左岸に沿う。北はかやヶ岳から続く赤坂あかさか台地に始まり、中南部は釜無川の形成した沖積地に広がる。赤坂台地上で標高は三五二・六メートル、南部は二六四・九メートルで南北に長い形を呈している。北は敷島しきしま町・北巨摩郡双葉ふたば町に接し、東は甲府市、南は昭和しようわ町、西は釜無川を挟んで八田はつた村・白根しらね町に接している。町名の竜王は中世以来の地名で、町の北部のたか岩辺りから釜無川に沿った地域をさす竜王湍りゆうおうたんから出たという説と、町内の慈照じしよう寺境内にある竜王水に由来するという説がある。町の中央を南東から北西にかけて国道二〇号が通り、北部をJR中央本線が東西に走り、竜王新町に竜王駅がある。

旧石器・縄文・弥生各時代の集落遺跡は見当らない。しかし茅ヶ岳から町の北側に張出している赤坂台地上にはかつて多くの古墳群が存在したと伝えられ、現在でも小字名に両目塚りようめづか形部塚かたべづか狐塚きつねづか二ッ塚ふたつづか判家塚はんにやづかなどが残っているが、古墳そのものはほとんど消滅し往時の姿を残しているものは少ない。昭和六三年(一九八八)の調査では一七ヵ所の古墳跡が確認された。

竜王町
りゆうおうちよう

面積:四四・五〇平方キロ

南北に二分される蒲生郡のうち南部の西端に位置し、東は八日市市・蒲生町、南は甲賀郡水口みなくち町・甲西こうせい町、西は野洲やす郡野洲町、北は近江八幡市に接する。町域の中央部は沖積層の平野部で、東に独立山塊である雪野ゆきの山、南は鈴鹿山脈から西方へ延びる丘陵地、西には花崗岩地帯のかがみ山、岩根いわね山などの高地となっている。東端を日野川が蛇行しながら北西に流れ、同川支流の惣四郎そうしろう川・祖父そぶ川・善光寺ぜんこうじ川などが南部丘陵地帯や岩根山・鏡山などを水源として北流し、やがて平野部で日野川に合流する。祖父川・善光寺川は天井川で、日野川も弓削ゆげ付近から急に堤の高さを増す。

古墳時代中期の帆立貝式雨宮あまみや古墳(岡屋・山之上境)があり、後期には前方後円墳である岩屋いわや古墳(薬師)が築かれ、鏡山山麓や雪野山山麓に数多くの群集墳が営まれている。「日本書紀」垂仁天皇三年三月条には新羅王子天日槍の従人が「鏡村の谷」に住み、須恵器製作にあたった旨が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竜王町」の意味・わかりやすい解説

竜王〔町〕
りゅうおう

滋賀県南部,日野川中流域の沖積地と鏡山東麓から成る町。 1955年鏡山村と苗村が合体し,町制。山麓には古墳が多い。中世,北西部の鏡は中山道の宿駅で知られた。米作中心の穀倉地帯で養鶏,近江牛の飼育も盛ん。 65年以来,食品,繊維,プラスチック,機械,自動車エンジンなどの工場が立地。苗村神社の西本殿は国宝。町名の由来となった竜王山 (雪野山) には,雨乞いに効験があるといわれる竜王寺がある。国道 477号線,名神高速道路が交差し,インターチェンジがある。面積 44.55km2。人口 1万1789(2020)。

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