武田信玄が築いたとされる堤。江戸時代前期にかけて延長された。信玄堤とよばれる堤防は県内に数ヵ所あるが、一般には釜無川と
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山梨県甲府盆地西部、釜無川(かまなしがわ)東岸の堤防で、甲斐市(かいし)にある。戦国時代、武田信玄が構築したものとして有名。この地は西岸に御勅使(みだい)川の扇状地があり、御勅使川が釜無川に合流するところにあたっているが、御勅使川は荒れ川で水害をしばしばおこした。信玄は1542年(天文11)から工事を始め約20年の歳月をかけて堤を完成した。特色は、御勅使川の流れを上流に固定して水勢を避け、1800メートルにわたる大堤防に樹木を植え、河岸には雁行(がんこう)とよばれる霞堤(かすみてい)(不連続に設けられた堤防)を設けたもので、この治水法は今日でも高く評価されている。JR竜王駅から徒歩25分。
[横田忠夫]
武田信玄が釜無川沿岸に構築した川除(かわよけ)用の堤防。山梨県甲斐市の旧竜王町にある。御勅使(みだい)川が釜無川に合流する地点は古来甲州第一の水難場で,甲府盆地西部に水災を及ぼしてきたが,信玄は1542年(天文11)治水工事に着手,18年の歳月を費やして完成させた。特色は,まず将棋頭(しようぎがしら)という圭角(けいかく)の石堤を築いて御勅使川の水流を南北に二分し,その本流を釜無川浸食崖の赤岩(高岩)にあたらせ,また十六石という巨石を配して水勢を減殺するという自然力を利用した工法で,さらに釜無川左岸には1000余間(1800m余)の堅固な堤防を築き,これに雁行状に配列した霞堤を設けて大出水に備えたことにある。60年(永禄3)竜王の河原の開拓を計画して移住者を募り,棟別(むなべち)役免除の特権をあたえるとともに水防の義務を課したが,これが竜王河原宿(旧竜王町竜王)の成立である。近世初頭にかけて広く新田開発が進み農業生産力は増大,またその築堤技術は江戸時代には甲州流川除として知られた。
執筆者:飯田 文弥
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戦国期,甲斐国の武田信玄が築いた堤防。現在の山梨県甲斐市竜王にある。甲府盆地は釜無川・笛吹川・荒川などの河川が合流し,古くから洪水の被害をうけた。信玄は家督を継ぐと,大規模な治水工事を行った。釜無川・御勅使(みだい)川の合流点は最も洪水がおこりやすいので,御勅使川分水工事を行い,釜無川東岸に堅固な堤防を築き堤防上に竹木を植えて防水林とした。堤防は一直線ではなく,雁行状に重複して配列する霞堤(かすみづつみ)とよばれるもので,急激な大出水にも決壊しない独特の工法であった。これにより近世初頭には多くの新田開発が行われた。
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…たとえば甲州における武田信玄の国中平野への進出と釜無川の治水は,この時代の治水の代表的なものである。信玄の治水法は,信玄堤の造成と御勅使(みだい)川の釜無川への流入点の変更である。信玄堤は竜王地点では自然流に近く設けられるが,南へ下るとともに川から離れ,築地新居・飯喰地点では1200mを隔て,断続した8個の堤が笛吹合流点まで雁行している。…
※「信玄堤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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