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信玄堤 しんげんづつみ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

信玄堤
しんげんづつみ

戦国時代,武田信玄が当時の土木技術を駆使して甲斐国に築いた堤防甲斐国に水害が多かったため,特に釜無川東岸玉川,飯喰,河西,西輪にかけて築いた。現在竜王付近にその一部が残っている。

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百科事典マイペディアの解説

信玄堤【しんげんづつみ】

武田信玄が天文年間(1532年―1555年)に釜無(かまなし)川東岸の山梨県甲斐市に築いたと伝えられる堤防。現在もその一部が残る。延長630mの土手を本堤とし,内外を竹で根固めし,川寄りに2km余りの石堤を築き,さらに33の付出しを設け防備した。
→関連項目竜王[町]

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世界大百科事典 第2版の解説

しんげんづつみ【信玄堤】

武田信玄が釜無川沿岸に構築した川除(かわよけ)用の堤防。山梨県中巨摩郡竜王町にある。御勅使(みだい)川が釜無川に合流する地点は古来甲州第一の水難場で,甲府盆地西部に水災を及ぼしてきたが,信玄は1542年(天文11)治水工事に着手,18年の歳月を費やして完成させた。特色は,まず将棋頭(しようぎがしら)という圭角(けいかく)の石堤を築いて御勅使川の水流を南北に二分し,その本流を釜無川浸食崖の赤岩(高岩)にあたらせ,また十六石という巨石を配して水勢を減殺するという自然力を利用した工法で,さらに釜無川左岸には1000余間(1800m余)の堅固な堤防を築き,これに雁行状に配列した霞堤を設けて大出水に備えたことにある。

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大辞林 第三版の解説

しんげんづつみ【信玄堤】

武田信玄が釜無かまなし川・笛吹川などに構築した堤。山梨県甲斐市竜王付近の釜無川東岸に典型的に残る。長さ1800メートルにわたる霞堤かすみてい。 → 霞堤

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

信玄堤
しんげんづつみ

山梨県甲府盆地西部、釜無(かまなし)川東岸の堤防で、甲斐(かい)市にある。戦国時代、武田信玄が構築したものとして有名。この地は西岸に御勅使(みだい)川の扇状地があり、御勅使川が釜無川に合流するところにあたっているが、御勅使川は荒れ川で水害をしばしばおこした。信玄は1542年(天文11)から工事を始め約20年の歳月をかけて堤を完成した。特色は、御勅使川の流れを上流に固定して水勢を避け、1800メートルにわたる大堤防に樹木を植え、河岸には雁行(がんこう)とよばれる霞堤(かすみてい)(不連続に設けられた堤防)を設けたもので、この治水法は今日でも高く評価されている。JR竜王駅から徒歩25分。[横田忠夫]

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世界大百科事典内の信玄堤の言及

【治水】より

…たとえば甲州における武田信玄の国中平野への進出と釜無川の治水は,この時代の治水の代表的なものである。信玄の治水法は,信玄堤の造成と御勅使(みだい)川の釜無川への流入点の変更である。信玄堤は竜王地点では自然流に近く設けられるが,南へ下るとともに川から離れ,築地新居・飯喰地点では1200mを隔て,断続した8個の堤が笛吹合流点まで雁行している。…

※「信玄堤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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