歌がるたの小倉(おぐら)百人一首を使い、早取りを競う競技。個人戦と団体戦があり、団体戦の方式は大会により異なる。対戦者は100枚の裏返しにされた札から互いに25枚ずつを抜き取り、面前の自陣に表にした札を3段にして並べておき、札の配置を15分間でできるだけ暗記しておく(100枚のうち50枚は読まれてもその場に存在しない空札(からふだ)となる)。その後、読み手が読みあげる上の句を聞き、自陣か、敵陣に並べてある合計50枚の札のなかから、読まれた歌の下の句が書かれた札を、瞬時に見極めてとることを競い合う。自陣の札をとったら持ち札1枚が減り、敵陣の札をとった場合は、自陣に残っている札のなかから「送り札」として敵陣に渡すことができる。このやりとりを繰り返し、早く自陣の札をなくしたほうが勝者となる。読まれた札を早くとるためには、上の句の何文字目まで聞けば、下の句の札を特定することができるかが鍵(かぎ)であり、その上の句の最小限の文字数を「決まり字」という。また、決まり字がもっとも長い6字の句の札は「大山札(おおやまふだ)」とよばれ、勝負を分ける重要な札として駆け引きに使われる。
今日行われている競技かるたは、古くから行われてきた歌がるたのさまざまな規則を、ジャーナリストで翻訳家の黒岩涙香(くろいわるいこう)が統一し、1904年(明治37)に全国競技会を催したことによって始められたものである。黒岩は自身で創刊した新聞『萬朝報(よろずちょうほう)』にかるた早取り法の特集を掲載して普及を図り、その競技方法がもとになって大正期以降に全国に広がった。その後、1948年(昭和23)に全日本かるた協会が設立され、戦時中に一時とだえていた競技かるたが復興された。同協会は2014年(平成26)に一般社団法人となり、国内の主要大会を主催しており、日本一を近江神宮(おうみじんぐう)(大津市)で決する名人戦(男性)とクイーン戦(女性)のほか、全国選抜大会、全日本選手権大会、女流選手権大会、また、国民文化祭での競技会を毎年開いている。
[編集部]
…当時,取札をまいておいてとる〈ちらし取り〉のほかに,2組に分かれて行う〈源平戦〉なども併用された。明治に入ってから1対1の競技かるたが生まれ,研究団体,競技団体がつくられて各地で練習会を開催,選手は自分たちの技量を他流試合に求めはじめた。これに着目した黒岩涙香は,かるた早取法を考案し,東京かるた会を設立,会長となった。…
※「競技カルタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...
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