日本歴史地名大系 「竹崎洋式灯台跡」の解説 竹崎洋式灯台跡たけざきようしきとうだいあと 佐賀県:藤津郡太良町竹崎村竹崎洋式灯台跡[現在地名]太良町大字大浦字竹崎竹崎島の東海岸の断崖上、対岸に福岡県大牟田(おおむた)市を遠望する夜灯鼻(やとうがはな)の地にあり、佐賀藩の国学副教授武富南の筆になる「照海灯」の碑がある。現在この碑の背後に新しく灯台が建てられている。竹崎島は有明海に突き出て交通上重要な位置を占めており、その前面には鶴瀬(つるのせ)の暗礁が広がり、舟行には非常に危険な所であった。寛延年間(一七四八―五一)、諫早氏の家臣である早田番左衛門がこの竹崎に灯台を設け、灯油の財源として田地を竹崎観世音寺の平井坊に寄進して、管理にあたらせた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by