竹崎順子 たけざき-じゅんこ
1825-1905 江戸後期-明治時代の教育者。
文政8年10月25日生まれ。徳島久子,矢島楫子(かじこ)の姉。天保(てんぽう)11年竹崎茶堂と結婚,茶堂がひらいた日新堂で女生徒をおしえる。明治20年海老名弾正のもとでキリスト教に入信,翌年熊本英学校付属女学校(のち熊本女学校)の舎監,30年校長となった。明治38年3月7日死去。81歳。肥後(熊本県)出身。本姓は矢島。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の竹崎順子の言及
【矢島楫子】より
…熊本県出身。徳富蘇峰,徳冨蘆花の叔母で,熊本女学校長であった竹崎順子の妹。酒乱の夫と35歳で離婚,1872年(明治5)上京,教員伝習所で学び桜川小学校に奉職したが,78年新栄女学校に移り翌年受洗。…
※「竹崎順子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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