竹沢平八(読み)たけざわ へいはち

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹沢平八」の解説

竹沢平八(初代) たけざわ-へいはち

?-1760 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方
寛保(かんぽう)(1741-44)のころから豊後(ぶんご)節の宮古路加賀太夫の三味線相方となり,加賀太夫が延享4年富士松薩摩掾(さつまのじょう)を名のってからも相方をつとめた。初代宮崎忠五郎とならび称された。宝暦10年死去。別名に都里夕,菊沢平八。

竹沢平八(2代) たけざわ-へいはち

?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
豊後節(ぶんごぶし)三味線方の初代竹沢平八の弟子。はじめ師のワキをつとめ,宝暦10年(1760)市村座で2代を襲名。花園喜代太夫,都音羽太夫の三味線相方をつとめた。前名は竹沢里夕。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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