20世紀日本人名事典 「竹田敏彦」の解説 竹田 敏彦タケダ トシヒコ 大正・昭和期の小説家,劇作家 生年明治24(1891)年7月15日 没年昭和36(1961)年11月15日 出生地香川県仲多度郡多度津町 本名竹田 敏太郎 学歴〔年〕早稲田大学英文科〔明治44年〕中退 経歴丸亀中在学時代に生家の没落にあい、以後苦学を続ける。早大中退後大阪時事新報、大阪毎日新聞の司法記者となるが、大正13年上京し、新国劇の文芸部長となる。昭和4年発表の「早慶決勝の日」が新国劇で上演され、好評を得る。以後流行作家となって「子は誰のもの」「検事の妹」などを発表。戦後も「母と子の窓」などを発表。また郷里の多度津に更生施設「丸亀少女の家」を創立した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹田敏彦」の解説 竹田敏彦 たけだ-としひこ 1891-1961 大正-昭和時代の小説家,劇作家。明治24年7月15日生まれ。新聞記者をへて大正13年新国劇文芸部長。のち「子は誰のもの」「涙の責任」などを発表して流行作家となった。戦後,三原スヱと更生施設「丸亀少女の家」を創設。昭和36年11月15日死去。70歳。香川県出身。早大中退。本名は敏太郎。編著に「沢田正二郎舞台の面影」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by