朝日日本歴史人物事典 「竹田春庵」の解説
竹田春庵
生年:寛文1(1661)
江戸前・中期の儒学者。名は定直,字子敬,春庵と号す。京都に生まれて翌年,祖母に抱かれて筑前に至り福岡藩主黒田光之に謁す。年15にして勤仕し,貝原益軒に従学,程朱学その他学問万般を学ぶ。藩儒になってからは江戸との往来の間に藩士教育や朝鮮通信使応接に勤め,詩文にも長じ,和漢兼学の益軒門下らしく和歌和文も堪能であった。折しも徂徠学の流行に遭遇し,荻生徂徠ら学派を違える儒者と議論するなど交友も広い。以後竹田家は累代藩儒として朱子学を奉じるが,春庵自身は程朱に盲従することのない懐の深さをみせており,それが福岡における中期以後の古学隆盛を準備したとも解せる。明治まで読み継がれた『小学句読集疏』(1715)をはじめ著書も多い。
(宮崎修多)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報