日本の城がわかる事典 「笠間城」の解説 かさまじょう【笠間城】 茨城県笠間市にあった山城(やまじろ)。江戸時代には笠間藩の政庁が置かれていた城である。佐白(さしろ)山の山頂に2重の天守郭があり、東から北の山腹に郭を配置した縄張りで、関東や東北の城としては珍しく石垣が多用されていた。江戸時代の藩主の居館は佐白山の北東山麓にあった。1219年(承久1)に、下野守護の宇都宮頼綱の甥にあたる笠間時朝によって築城されたといわれる。以来、笠間氏の居城となってきたが、1590年(天正18)の小田原の役の際、城主の笠間綱家が宗家の宇都宮氏に従わず、北条氏方に与したため、宇都宮氏に攻められて落城・滅亡し、のちに一帯が蒲生秀行の領地となり、秀行の重臣の蒲生郷成が入城して大規模な城の改修を行った。今日まで残っている天守曲輪(くるわ)の石垣が築かれたのは、この時である。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いの後、笠間藩の藩庁となり、幕末までに松井松平氏、戸田松平氏、小笠原氏、永井氏、浅野氏、井上氏、本庄氏、牧野氏が藩主を務め、その居城とした。山上の城跡には石垣、堀などが残り、城山一帯が佐白山ろく公園として整備されている。本丸の八幡櫓(はちまんやぐら)が同市内の真浄寺に、そのほか2棟の城門が市内の民家に移築されて現存する。JR水戸線笠間駅から徒歩30分。またはJR常磐線友部駅からバスで日動美術館下車、城山入口まで徒歩約20分。◇桂城とも呼ばれる。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報