等々力町村
とどろきまちむら
[現在地名]穂高町大字穂高 等々力
烏川扇状地の末端に位置し、糸魚川道に沿う宿場町。明応一〇年(一五〇一)の三宮穂高社御造宮定日記(穂高神社蔵)にみえる「北等々力」は等々力町の前身である。近世に保高町村とともに保高宿を形成していた。
当初宿の長さは一・五町ほどであったが、近世に入ってから町を更に北へ延長して三町ほどの宿に拡張し、町尻を西へ屈曲させて旧道に通じている。寛政年代(一七八九―一八〇一)の絵図(二木幹夫氏蔵)によると、町の南入口付近を矢原堰が横断しており、これから分水した払堰が宿の中央を貫流している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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