朝日日本歴史人物事典 「仁科盛信」の解説
仁科盛信
生年:生年不詳
戦国時代の武将。武田信玄の5男。母は油川信恵の娘。長く信濃の仁科荘(長野県大町市)を中心に繁栄してきた仁科氏が武田氏に滅ぼされて断絶したのち,その名跡を継いだ。信玄の死後,兄の武田勝頼をよく助け,織田信長の武田攻撃が予想されるなか,天正9(1581)年上伊那郡の高遠城主となる。翌年,織田・徳川の連合軍が勝頼を攻めた際,唯一頑強な抵抗を示したのが高遠城であった。2月末,織田信忠の軍勢に包囲攻撃され,奮戦の末,城兵と共に壮烈な討ち死にを遂げた。<参考文献>太田牛一『信長公記』,『高遠記集成』,北島藤次郎『仁科五郎盛信』
(笹本正治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報