答院住宅(読み)けどういんじゆうたく

日本歴史地名大系 「答院住宅」の解説

答院住宅
けどういんじゆうたく

[現在地名]大口市里

さと地区の東方上之馬場うえのばばの大口市役所東方にある。江戸中期の武家屋敷の状態をよく残した貴重な住宅。鹿児島藩では、麓と称する郷士の集落を外城(郷)ごとに置いており、当住宅も大口郷麓の郷士屋敷である。建築年代は明らかではないが、答院氏が大口に移ったのは答院重鎮(承応二年没)の時であるので(嘉永七年「答院氏家系」答院氏蔵)、この頃に建築されたものと考えられている。当住宅はL字形に直交した道路の突当りに位置し、東側は山地防戦の便にも配慮して建てられている。門・中門・土蔵・氏神祠などを備えており、オモテ(主屋)の規模からも武家色彩を有しているが、敷地内にオモテを中心に付属舎を配置する造りは一般農家の住宅と同じ様式でもある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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