江戸後期の天文暦学者。天文方高橋至時(よしとき)の長男として大坂に生まれる。幼名を作助、家を嗣(つ)いで通称を作左衛門、字(あざな)は子昌(ししょう)、蛮蕪(ばんぶ)または観巣(かんそう)と号す。別にGlobiusとも号す。幼時より才気に富み、暦学を父に学んで通暁し、オランダ語にも通じた。20歳で父の後を継いで天文方となり、間重富(はざましげとみ)の助けを受けて浅草の天文台を統率、優れた才能と学識でその地位を全うした。伊能忠敬(いのうただたか)が彼の手附手伝(てつきてつだい)を命ぜられると、忠敬の測量事業を監督し、幕府当局と交渉および事務上のことについて力を尽くし、その事業遂行に専心させた。1807年(文化4)万国地図製作の幕命を受け、1810年『新訂万国全図』を刊行した。翌年には暦局内に蕃書和解御用(ばんしょわげごよう)を設けることに成功し、蘭書(らんしょ)の翻訳事業を主宰した。満州語についても学識を有し、『増訂満文輯韻(まんぶんしゅういん)』ほか満州語に関する多くの著述がある。景保は学者でもあったが、むしろ優れた政治的手腕の所有者で、「此(この)人学才は乏しけれども世事に長じて俗吏とよく相接し敏達の人を手に属して公用を弁ぜしが故に此学の大功あるに似たり」と大槻玄幹(おおつきげんかん)(1785―1838)は評している。この政治的手腕がかえって災いしてか、1828年(文政11)シーボルト事件の主犯者として逮捕され、翌年45歳の若さで牢死(ろうし)した。存命ならば死罪となるところであった。碑は浅草源空寺(東京都台東(たいとう)区上野七丁目)にある。
[渡辺敏夫]
『上原久著『高橋景保の研究』(1977・講談社)』
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1785~1829.2.16
江戸後期の天文学者。高橋至時(よしとき)の長男。大坂生れ。1804年(文化元)父の跡を継ぎ天文方になる。10年「新訂万国全図」を製作。他方,伊能忠敬(ただたか)の実測をもとに「大日本輿地全図」を作成した。11年蛮書和解御用(ばんしょわげごよう)の主管となり「厚生新編」の訳業を始める。14年書物奉行兼天文方筆頭。28年(文政11)シーボルトに御禁制の日本地図を渡していたことが発覚し,同年入獄,翌年獄死。
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…伊能忠敬を中心とする伊能(測量)隊が,1800‐16年(寛政12‐文化13)に,幕府の事業として日本全国を測量して作成した日本で最初の近代科学的地図。忠敬は測量成果の集大成の途中,全国図完成前に死去したが,彼の死後は高橋景保の監督下で作成され,1821年(文政4)に完成した。大図(1里を3寸6分で表現し,縮尺にして1/3万6000,214枚),中図(1里を6分,縮尺1/21万6000,8枚),小図(1里を3分,縮尺1/43万2000,3枚)からなり,すべて手書きの彩色地図で,〈大日本沿海実測全図(実測輿地全図)〉と総称される。…
…これらの中で1810年(文化7)に一応の完成を見,16年に銅版印刷に付された官版の《新訂万国全図》は,翻訳の域を脱した独自性あふれる作品である。幕命により高橋景保(かげやす)らの浅草天文台職員が事に当たったもので,東西両半球の名称・配置を西洋流とは逆にして日本がほぼ中央にくるようにし,京都中心の半球図を副図として掲げるなど苦心の跡が見られる。用いられる投影法は蘭学系世界図に用例の多い平射図法であるが,参考資料として重きをなしたという《アロースミス図》はメルカトル図法によるものであった。…
…1804年(文化1)にロシアの使節N.P.レザノフが長崎に持参した国書は満州語でも書かれていた。幕府の天文方の高橋景保がこれを訳解したが,彼には満州語に関して辞書などの著作もある。長崎の唐通事(中国語通訳)も満州語辞書を和訳した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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