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高橋景保 たかはしかげやす

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高橋景保
たかはしかげやす

[生]天明4(1784).大坂
[没]文政12(1829).2.16. 江戸
江戸時代中期の天文学者。至時の子。字は子昌,名は作左衛門。文化1 (1804) 年に江戸幕府の天文方となり,『新訂万国全図』の銅板を完成。伊能忠敬の測量事業を監督,援助し,その実測に基づく『日本輿地全図』『日本辺海略図』を編纂。

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デジタル大辞泉の解説

たかはし‐かげやす【高橋景保】

[1785~1829]江戸後期の天文学者。大坂の人。至時(よしとき)の子。字(あざな)は子昌。号、観巣。書物奉行兼天文方筆頭として語学・地理学を修め、伊能忠敬(いのうただたか)の測量事業を監督、「大日本沿海輿地全図」を完成。のち、シーボルト事件の主犯として捕らえられ獄死。

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百科事典マイペディアの解説

高橋景保【たかはしかげやす】

江戸後期の天文地理学者。通称作左衛門。高橋至時(よしとき)の子。父を継いで幕府天文方となり,天文観測・測量・翻訳などに従事。語学にひいで,ロシア語,満州語に通ずる。
→関連項目ゴロブニン

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高橋景保 たかはし-かげやす

1785-1829 江戸時代後期の天文家,地理学者。
天明5年生まれ。高橋至時(よしとき)の長男。父に天文暦学をまなぶ。幕府天文方となり,伊能忠敬(いのう-ただたか)の全国測量を監督。また幕命で「新訂万国全図」を完成させた。シーボルト事件に連座して文政12年2月16日獄死。45歳。大坂出身。字(あざな)は子昌。通称は作左衛門。号は観巣,玉岡,求己堂主人。オランダ名グロビウス。著作に「北夷考証」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

たかはしかげやす【高橋景保】

1785‐1829(天明5‐文政12)
江戸中期の天文地理学者。通称は作左衛門,号は観巣または蛮蕪。父至時(よしとき)の死後,天文方を継ぎ,幕命により世界地図作成に従事し,1810年(文化7)《新訂万国輿地全図》を完成。他方,伊能忠敬の実測を基に《大日本輿地全図》を作成した。また満州語を研究して《満文輯韻(しゆういん)》を編んだ。26年(文政9)に参府したシーボルトと交わり,学術資料を交換したが,国禁の日本図を贈ったことが発覚して逮捕され(シーボルト事件),獄死。

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大辞林 第三版の解説

たかはしかげやす【高橋景保】

1785~1829) 江戸後期の天文学者。大坂の人。至時よしときの子。伊能忠敬の死後、その測量に基づいて「大日本沿海輿地全図」を完成。シーボルトにこの地図を与えた罪に問われ獄死。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高橋景保
たかはしかげやす
(1785―1829)

江戸後期の天文暦学者。天文方高橋至時(よしとき)の長男として大坂に生まれる。幼名を作助、家を嗣(つ)いで通称を作左衛門、字(あざな)は子昌(ししょう)、蛮蕪(ばんぶ)または観巣(かんそう)と号す。別にGlobiusとも号す。幼時より才気に富み、暦学を父に学んで通暁し、オランダ語にも通じた。20歳で父の後を継いで天文方となり、間重富(はざましげとみ)の助けを受けて浅草の天文台を統率、優れた才能と学識でその地位を全うした。伊能忠敬(いのうただたか)が彼の手附手伝(てつきてつだい)を命ぜられると、忠敬の測量事業を監督し、幕府当局と交渉および事務上のことについて力を尽くし、その事業遂行に専心させた。1807年(文化4)万国地図製作の幕命を受け、1810年『新訂万国全図』を刊行した。翌年には暦局内に蕃書和解御用(ばんしょわげごよう)を設けることに成功し、蘭書(らんしょ)の翻訳事業を主宰した。満州語についても学識を有し、『増訂満文輯韻(まんぶんしゅういん)』ほか満州語に関する多くの著述がある。景保は学者でもあったが、むしろ優れた政治的手腕の所有者で、「此(この)人学才は乏しけれども世事に長じて俗吏とよく相接し敏達の人を手に属して公用を弁ぜしが故に此学の大功あるに似たり」と大槻玄幹(おおつきげんかん)(1785―1838)は評している。この政治的手腕がかえって災いしてか、1828年(文政11)シーボルト事件の主犯者として逮捕され、翌年45歳の若さで牢死(ろうし)した。存命ならば死罪となるところであった。碑は浅草源空寺(東京都台東(たいとう)区上野七丁目)にある。[渡辺敏夫]
『上原久著『高橋景保の研究』(1977・講談社)』

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世界大百科事典内の高橋景保の言及

【伊能図】より

伊能忠敬を中心とする伊能(測量)隊が,1800‐16年(寛政12‐文化13)に,幕府の事業として日本全国を測量して作成した日本で最初の近代科学的地図。忠敬は測量成果の集大成の途中,全国図完成前に死去したが,彼の死後は高橋景保の監督下で作成され,1821年(文政4)に完成した。大図(1里を3寸6分で表現し,縮尺にして1/3万6000,214枚),中図(1里を6分,縮尺1/21万6000,8枚),小図(1里を3分,縮尺1/43万2000,3枚)からなり,すべて手書きの彩色地図で,〈大日本沿海実測全図(実測輿地全図)〉と総称される。…

【地図】より

…これらの中で1810年(文化7)に一応の完成を見,16年に銅版印刷に付された官版の《新訂万国全図》は,翻訳の域を脱した独自性あふれる作品である。幕命により高橋景保(かげやす)らの浅草天文台職員が事に当たったもので,東西両半球の名称・配置を西洋流とは逆にして日本がほぼ中央にくるようにし,京都中心の半球図を副図として掲げるなど苦心の跡が見られる。用いられる投影法は蘭学系世界図に用例の多い平射図法であるが,参考資料として重きをなしたという《アロースミス図》はメルカトル図法によるものであった。…

【満州語】より

…1804年(文化1)にロシアの使節N.P.レザノフが長崎に持参した国書は満州語でも書かれていた。幕府の天文方の高橋景保がこれを訳解したが,彼には満州語に関して辞書などの著作もある。長崎の唐通事(中国語通訳)も満州語辞書を和訳した。…

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