日本歴史地名大系 「箕島村」の解説
箕島村
みのしまむら
有田川河口北岸に位置し、東は
とあり、沿岸海域における難船の救助態勢が箕島でも確立していた。
浅野氏による慶長六年(一六〇一)の検地時に村高六七四石余、小物成三〇石余と定められ(慶長検地高目録)、慶長一六年の加太浦より錦浦迄加子米究帳(栗本家蔵)によると、当村に課せられた加子役は二九人(代納升高三四・八石)であった(徳川氏時代には加子米高七〇石)。
箕島村
みしまむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報