日本歴史地名大系 「節黒城跡」の解説 節黒城跡ふしぐろじようあと 新潟県:中魚沼郡川西町上野村節黒城跡[現在地名]川西町上野新町(あらまち)新田から約二キロほど西へ登った関田(せきだ)山脈の突端にある。左右は渓谷で天然の大壕をなし、前方東側は眺望が開け、信濃川を隔てて下条(げじよう)・中条(なかじよう)(現十日町市)方面の平原を一望に収める。西方は信濃川岸の木落(きおとし)から大白倉(おおじらくら)・小白倉(こじらくら)を経て小国の三桶(おぐにのみおけ)(現刈羽郡小国町)に至る往古からの高田(たかだ)脇街道を眼下にする。正平七年(一三五二)武蔵小手指原(こてさしがはら)の戦に敗れた新田義宗が、当地に来て築いたと伝える。口碑によると義宗が築城を急ぎ、用材を黒木のまま使用したので節黒城とよばれたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報