朝日日本歴史人物事典 「篠原孫左衛門」の解説
篠原孫左衛門
生年:弘治2(1556)
江戸初期の阿波撫養塩田(鳴門市)開発者。淡路国三原郡高屋村(兵庫県西淡町)の出身。諱は家久,また道金。はじめ孫六と称した。天正13(1585)年,蜂須賀家政が播州竜野(竜野市)から阿波(徳島県)に入国,播磨,淡路から製塩技術者を招いて慶長1(1596)年の大地震によって隆起した撫養沿岸の干潟地の踏査,開発に当たらせた。孫左衛門もそのひとりで,慶長2年竹島(高島)の干潟を調査し,翌年塩浜の築造に着手した。慶長12年塩田の検地が行われて,高島塩浜8町6反24歩(約8.5ha),年貢として銀784匁1分9厘が定められ,孫左衛門は竹島村の庄屋に任命された。以後篠原家は代々庄屋を世襲して製塩業に従事した。<参考文献>『鳴門市史』上,岩村武勇『高島塩田の開拓と篠原家』
(渡辺則文)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報