コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

篠原孫左衛門 しのはら まござえもん

2件 の用語解説(篠原孫左衛門の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

篠原孫左衛門 しのはら-まござえもん

1556-1625 織豊-江戸時代前期の塩業家。
弘治(こうじ)2年生まれ。淡路(あわじ)(兵庫県)高屋村で塩業をいとなむ。阿波(あわ)(徳島県)領主蜂須賀(はちすか)家政の命により,慶長3年から竹島村(鳴門市高島)で塩田を開発,10年かけて約9haをひらく。以後,篠原家は同村の庄屋を世襲し,代々製塩業に従事した。寛永2年3月23日死去。70歳。名は家久。号は道金。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

篠原孫左衛門

没年:寛永2.3.23(1625.4.29)
生年:弘治2(1556)
江戸初期の阿波撫養塩田(鳴門市)開発者。淡路国三原郡高屋村(兵庫県西淡町)の出身。諱は家久,また道金。はじめ孫六と称した。天正13(1585)年,蜂須賀家政が播州竜野(竜野市)から阿波(徳島県)に入国,播磨,淡路から製塩技術者を招いて慶長1(1596)年の大地震によって隆起した撫養沿岸の干潟地の踏査,開発に当たらせた。孫左衛門もそのひとりで,慶長2年竹島(高島)の干潟を調査し,翌年塩浜の築造に着手した。慶長12年塩田の検地が行われて,高島塩浜8町6反24歩(約8.5ha),年貢として銀784匁1分9厘が定められ,孫左衛門は竹島村の庄屋に任命された。以後篠原家は代々庄屋を世襲して製塩業に従事した。<参考文献>『鳴門市史』上,岩村武勇『高島塩田の開拓と篠原家』

(渡辺則文)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

篠原孫左衛門の関連キーワード鈴木鳴門鳴門市撫養大鳴門橋阿波座阿波の鳴門鳴門秘帖大谷五郎右衛門山瀬佐蔵花乃春

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone