米原湊(読み)まいはらみなと

日本歴史地名大系 「米原湊」の解説

米原湊
まいはらみなと

[現在地名]米原町米原

江戸時代初期、筑摩つくま(入江内湖)に開かれた湊で、彦根三湊の一。現在のJR米原駅辺りに位置した。開削者は彦根藩の命をうけた世継よつぎ(現近江町)の源十郎(のち北村家を名乗り、代々源十郎を襲名した)で、開湊年代は慶長八年(一六〇三)。北村家の留書に「慶長八卯年米原村江引越湊取立て候様被仰付」とあり、三代源十郎が寛文一二年(一六七二)彦根藩に差出した言上書には「いにしへは商人荷物不残朝妻村に参、其時分迄米原村は湊に而無御座候」と記される(以上北村文書)。米原開湊により従来からの湊であった朝妻あさづま世継は大きな打撃をうけ、争論となったが、同藩の後押しもあり米原有利の決着をみた。しかし朝妻・世継側は当時土木工事で著名であった京都角倉家の援助を受け、慶長一〇年天野あまの川を開削して世継村から醒井さめがい村まで川船を通し、美濃・尾張方面からの荷を奪い返そうとした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の米原湊の言及

【琵琶湖】より

… 彦根藩は領内三湊として松原(現,彦根市),米原,長浜を擁した。米原湊は江戸初期の新設で,中山道の番場宿に連絡する。《芦浦観音寺文書》によれば,1677年(延宝5)の丸子船(輸送船)所有数は大津,塩津で100艘をこえ,海津,今津,八幡,堅田に多い。…

【米原[町]】より

…古くから交通の要衝で,天野川河口の朝妻は古代から中世にかけて琵琶湖水運の要港であり,米原は北国街道の,東部の醒井(さめがい)は中山道の宿場町であった。また1603年(慶長8)に開かれた米原湊は松原湊(彦根市),長浜湊とともに〈彦根藩三湊〉の一つとしてにぎわい,朝妻にとって代わった。JRの米原(まいばら)駅は東海道新幹線,東海道本線,北陸本線,近江鉄道の乗換駅であり,名神高速道路と北陸自動車道,国道8号線と21号線が町内で分岐するなど,現在も県東部の交通中心として重要な位置を占めている。…

※「米原湊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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